先日、会社の口座から別の口座へお金を移しました。事業用から積立用へ、ぽちぽちと。移し終えて残高の一覧を眺めていたら、なんだか資産が増えたような気がして、ちょっといい気分になったんです。
一円も増えていないのに。
右のポケットから左のポケットに移しただけ。それでも「何かした感」だけはしっかり残る。人間の頭って、そういうふうにできているみたいなんですよね。
いま日本の経済で起きていることも、たぶん少しだけ似ています。
熱いお風呂を、あえて張り続ける
高市政権が掲げているのは「責任ある積極財政」という考え方です。その背骨にあるのが「高圧経済」。聞き慣れない言葉だと思うので、お風呂でたとえますね。
ふつう、湯温は「ちょうどいい」に合わせます。景気も同じで、熱すぎると物価が上がりすぎるから、政府や日銀は早めに冷ます。高圧経済というのは、その常識をひっくり返して、「しばらく熱めのまま我慢して張り続けよう」という発想です。
なぜか。熱いお湯の中でしか起きないことがあるからです。人手が足りなくなる。すると会社は賃金を上げないと人を雇えない。今まで声がかからなかった人にも声がかかる。給料の低い仕事から高い仕事へ、人が上へ移っていく。
これをきちんと論文にしたのは、アメリカの経済学者アーサー・オーカンです。1973年、ブルッキングス研究所に出した「Upward Mobility in a High-Pressure Economy(高圧経済における上方への移動)」。2016年にはFRB(アメリカの中央銀行)議長だったジャネット・イエレンが講演で持ち出して、一気に有名になりました。
ここ、タイトルをよく見てほしいんです。主役は「高圧経済」じゃなくて「上方への移動」のほう。お湯を足すことが目的じゃない。人が上に移ることが目的で、お湯はそのための手段なんです。
2026年の骨太の方針でも、この方向へはっきり舵が切られました。財政の目標が、プライマリーバランス(国の収入と支出の差)の黒字化から、借金の残高がGDP(国全体の稼ぎ)に対して下がっていくかどうかへ移された。文書の中で「投資」という言葉が使われた回数は、前の年の60回から157回に増えています。国として「熱くしていい」と決めた、ということです。
……ここまでは、わりと勇ましい話です。
ところが経済には、ずっと前から知られている厄介な性質があります。
1935年3月18日、アメリカ議会の下院銀行通貨委員会。大恐慌のまっただ中で、FRB議長のマリナー・エクルズが「金利を下げてお金を潤沢にしても、景気を押し上げる力には限りがある」という趣旨の説明をしていました。それを聞いていたゴールズボロー議員が、こう言ったそうです。
「つまり、紐は押せない、ということですね」
エクルズは答えます。「いい言い方です。紐は押せません」
紐は、引けば向こうのものが動く。でも押しても、手元でたわむだけで先端は動かない。景気を冷ますのは引く動作だから効く。温めるのは押す動作だから効きにくい。ちなみにこの比喩、しばしば「ケインズの言葉」として紹介されるんですが、ケインズが言ったという記録は見つかっていないそうです。名言って、有名な人のところに引き寄せられていくものらしい。
なぜ紐は押せないのか。理由は単純で、お金を出すのは国でも、使うかどうかを決めるのは私たちだからです。給付金が振り込まれても、将来が不安なら貯金に回る。会社も、売れる見込みがなければ機械を買わない。押した力は紐のたわみに吸われて、先端まで届かない。
じゃあ、届かなかったお金はどこへ行くのか。ここが今日いちばん話したいところです。
池は満ちている。海はもっと速い
日本という池には、実はもう水がたっぷりあります。
2025年の日本の経常収支(国全体の、海外との稼ぎの差し引き)は32.2兆円の黒字で、過去最大でした。ただ、中身が昔とはまるで違う。モノを輸出して稼ぐ部分はもう赤字で、黒字の稼ぎ頭は「第一次所得収支」、つまり日本の企業や投資家が海外に持っている資産から入ってくる利子や配当です。
大和総研のレポートが、ここを的確に指摘しています。輸出が増えれば国内の工場が動いて給料が増えるけれど、海外投資からの利益が増えても、そういう波及の道筋が乏しい、と。稼ぎは過去最大なのに、私たちの生活の実感になりにくい構造なんですね。
もうひとつ。日本が海外に持っている資産から負債を引いた「対外純資産」は、2025年末で561.7兆円。7年連続で過去最高を更新しました。日本、けっこう持ってるんです。
でも同じ発表で、世界順位は3位に落ちていました。1位はドイツ、2位は中国。日本が減ったわけじゃない。増えているのに、抜かれた。
これが「池と海」だと思っています。池の水位は上がっている。なのに順位が落ちるのは、海のほうがもっと速く広がっているから。そして池の中で水をかき混ぜても、水位は一ミリも変わりません。私が口座の間でお金を移して喜んでいたのと、構造は同じです。
熱いお風呂を張ること自体は、悪い政策だとは思いません。ただ、湯船の中でお湯をかき混ぜるのと、湯を足すのは、別の話なんですよね。
引き手をつくる
じゃあ、どうすればいいのか。
紐は押せません。これは変えられない。でも紐には、もうひとつの動かし方がありますよね。
向こう側で、誰かに引いてもらえばいい。
世界と繋がるというのは、要するに引き手をつくることだと思っています。人口も所得も伸びている国と、一緒に仕事をする。その国の成長を手伝って、その分こちらが引かれる。相手が伸びれば、こちらの紐もまっすぐ伸びる。誰かの成長に噛んでいる人だけが、その成長の分け前をもらえるんです。
『荘子』の秋水篇に「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり」という一節があります。井戸の蛙に海の話をしても通じないのは、蛙が狭い場所に縛られているからだ、と。「井の中の蛙、大海を知らず」の出どころですね。ただ、この言葉のこわいところは、蛙が不幸だとは一言も言っていないことです。井戸の中は、たぶん快適なんですよ。
とはいえ、私は「海外へ出よう」と言いたいわけではありません。留学できる人ばかりじゃないし、私自身、横浜で小さな会社をやっているだけの人間です。
だから、こう言い換えてみます。世界と繋がるというのは、自分の力が届く相手の数を増やすこと。誰かの役に立てる範囲を、少しだけ外へ広げること。それなら、どこにいてもできます。
ここで、あなたに三つだけ聞かせてください。
ひとつめ。あなたがいま磨いている力は、何人に届きますか。クラスの中だけですか。学校の外にも届きますか。日本語が読めない人にも届きますか。
ふたつめ。あなたの毎日のうち、「池の中で水をかき混ぜているだけ」の時間はどれくらいありますか。順位を気にする、誰かと比べる、噂話をする。悪いことじゃないけれど、水位は上がりません。
みっつめ。誰かが伸びるのを手伝った経験は、最近ありますか。後輩に教えた、友達の企画に乗った、部活でパスを出した。引き手って、そうやってできていくものだと思うんです。
それと、全部を海に出す必要はまったくありません。
八割は、いまいる場所を丁寧にやればいい。目の前の勉強、部活、バイト、家のこと。それが土台です。残りの二割だけ、外に向けた窓を開けておく。海外のニュースを一本読む、翻訳ではなく元の資料を見にいく、違う学校の人と話す、外国から来た人と下手な言葉で笑い合う。
窓は二割で十分なんです。ただ、閉め切ってしまうと、部屋の空気は自分の吐いた息だけになる。快適なんですけどね、井戸の中は。
私も四十代までは、けっこうな蛙でした。自分の業界の中の順位ばかり気にして、世界がどっちに動いているかなんて考えたこともなかった。いま慌てて窓を開けています。開けてみると、外の風はけっこう気持ちいい。あと、思ったよりうるさいです。
――押せない紐も、向こうから引かれれば、まっすぐ伸びる。