八月十五日を過ぎると、毎年おなじ二種類の言葉が並ぶ。

片方は「戦争は絶対悪だ、どんな理由があっても武器を持ってはいけない」。もう片方は「きれいごとを言っても、結局は強い者が決める」。

正反対に見える。けれど読み終えたあとの感触は、私にはよく似ている。どちらも、そこから先に考えることが何も残らないのだ。

両極端が心地よいのは、結論が先に配られるからだと思う。前者を選べば「もう考えなくていい、とにかく反対だ」で済む。後者を選べば「もう考えなくていい、どうせ力だ」で済む。立場としては正反対でも、頭の使い方としては同じ場所にいる。

「早く終わらせるため」は、いつ生まれたか

原爆投下の理由として、いちばん広く知られている説明がある。「本土決戦になれば、もっと多くの人が死んだ。だから戦争を早く終わらせるために必要だった」というものだ。

この説明の原型ははっきりしている。1947年2月、アメリカの雑誌『ハーパーズ』に載った「原爆使用の決断」という論文である。書いたのは元陸軍長官ヘンリー・スティムソン。そこにこう書かれている。「そうした作戦は、アメリカ軍だけで100万人を超える死傷者を出すと私は聞かされていた」。

問題は、この100万という数字が、1945年当時の軍の見積もりのどこにも見当たらないことだ。歴史家バートン・バーンスタインは1986年の論文で、この数字は戦後に作られたものだと指摘している。論文の題は「戦後の神話——アメリカ人50万人の命が救われた」。

順番が逆なのである。理由があって決断したのではなく、決断があってから理由が整えられた。

ただ、私がより引っかかるのは、作った側ではなく受け取った側だ。この説明は、アメリカ人にとっては罪悪感を軽くし、日本人にとっては「では、あれは避けられなかったのか」と、途方もない痛みに一応の輪郭を与えた。両方にとって、少しだけ楽になる話だった。

心理学に「認知的不協和」という言葉がある。自分の行動と信念が食い違ったとき、その居心地の悪さを消すために、行動ではなく信念のほうを書き換えてしまう働きのことだ(レオン・フェスティンガー、1950年代)。物語は、押し付けられるだけではない。楽になりたい側が、進んで引き受けてしまう。

だから「あれは後付けだ」と暴くだけでは足りない。なぜ自分はその後付けに乗りたくなったのか、まで戻らないと、同じことをまた繰り返す。

怒ることは、誰にでもできる

ここで持ち出したいのが「中庸」だ。

日本語ではしばしば「足して二で割る」「どっちつかず」の意味で使われる。だがアリストテレスが『ニコマコス倫理学』で言った中庸(メソテース)は、まったく別物である。彼はこう書いた。

誰でも怒ることはできる。それは簡単だ。しかし、正しい相手に、正しい程度に、正しいときに、正しい目的で、正しい方法で怒ること——これは誰にでもできることではないし、簡単でもない。(第二巻第九章)

中庸とは、真ん中という「位置」ではない。相手・程度・時・目的・方法という五つの目盛りを、そのつど合わせ直す「作業」なのだ。だからアリストテレス自身が、これは難しいと断っている。

対照的に、行動経済学には「妥協効果」という現象がある。松・竹・梅と選択肢が三つ並ぶと、人は真ん中の竹を選びやすい。真ん中は安心する。けれどそれは考えた結果ではなく、考えるのを省いた結果だ。中庸と真ん中は、似ているようで正反対のものである。

そしてもう一つ、この一節が大事なのは、怒りそのものを否定していない点だ。怒ってよい、とはっきり書いてある。感情は出発点として認められている。問われているのは、そこから先の五つの目盛りをちゃんと回したかどうかだけだ。

感情は、問いの入り口である。答えではない。ここを取り違えると、「私はこんなに悲しい/こんなに腹が立つ」がそのまま結論になってしまう。

補助金に、出口はあるか

遠い話に聞こえるかもしれないので、身近な例を挙げたい。

2026年8月現在、ガソリン補助金の支給単価は1リットルあたり17.3円。政府は9月から目安価格を170円から175円へ引き上げる方向で「出口」を探っている。基金の残高は7月末で約2100億円まで減った。経済学者へのアンケートでは、86%が縮小・撤廃が望ましいと答えている。

私が気になるのは金額よりも、この件をめぐる言葉のほうだ。「家計が苦しいのだから続けるのが当然だ」と「市場を歪めるのだから即刻やめろ」。この二つは、相手・程度・時・目的・方法をひとつも測っていないという意味で、まったく同じ種類の主張である。八月十五日に並ぶ二種類の言葉と、構造がそっくりなのだ。

「財源はどうするのか」という問いもある。これ自体は正しい問いだ。ただ、議論を深めるためではなく、議論を打ち切るための一言として使われることがある。逆に「財源など気にしなくていい」も、裏返しの同じものだ。

そして「〜のために」。始めたときの理由と、続いている理由は、たいてい違う。原油高への緊急対応として始まったものが、いつのまにか「いま急にやめると混乱するから」続いている。すでに払ったコストが惜しくて引き返せなくなることを、サンクコスト効果(埋没費用効果)という。厄介なのはその次で、やめられないという事実のほうに合わせて、理由が後から書き足されていく。

1947年の『ハーパーズ』誌と、同じ形である。

それでも、八割でいい

こう書くと、四六時中すべてを疑って生きろという話に聞こえるかもしれないが、そうではない。考え続けるのは疲れる。疲れるからこそ、結論を先に配ってくれる両極端がよく売れる。

必要なのは、常に正解を出すことではなく、「まだ決めない」を持ちこたえる力のほうだと思う。答えの出ない問いを、答えが出ないまま持ち歩く。それができれば、空気に流される回数はずいぶん減る。

問いを三つ置いておきたい。

ひとつ。最近いちばん強く感情が動いた出来事について、その感情を「そういうものだ」で片付けていないか。相手・程度・時・目的・方法のうち、測っていない目盛りはどれか。

ふたつ。仕事や家計で、始めた理由と続いている理由がずれてしまった習慣はないか。それを続けている本当の理由は、口にしている理由と同じだろうか。

みっつ。自分の意見が「絶対」の顔をしはじめたとき、それは考え抜いた結果だろうか、それとも考えるのをやめた結果だろうか。

八割は、この測り直しの手間にあてたい。残りの二割は、「まあ、答えが出ないまま持ち歩くのも悪くない」と構えておく。八十一年前に何が正しかったのかを私が確定させることはできないが、いま自分の中で問いを閉じないでおくことは、今日の自分が決められる。

――中庸とは位置ではなく、測り直しつづける動作のことである。


出典・参考