複雑な社会にこそ必要な「性弱説」──努力神話の終焉と支え合う社会のかたち

1. はじめに──性善・性悪の時代から性“弱”の時代へ

「人は生まれながらにして善である(性善説)」「いや、悪である(性悪説)」──こうした人間観は、古代中国の儒家・法家以来、教育や社会制度の設計に大きな影響を与えてきました。日本においても「人は教育によって良くなる」「努力すれば報われる」といった考え方は、戦後の復興や高度経済成長を支えてきた精神的土台だったといえるでしょう。

しかし今、私たちが直面している社会は、あまりにも複雑で、情報は洪水のように流れ込み、判断や選択の負荷は過去と比べて飛躍的に増加しています。ここで改めて必要なのが、「性弱説(人は基本的に弱く、すべてを理解し、適切に判断することには限界がある)」という視点です。これは人間の努力を否定するものではなく、むしろ「限界があるからこそ仕組みで支えるべきだ」という現代的な倫理観なのです。

2. 社会の複雑化と「正しい判断」への過剰な期待

現代社会では、若手であっても「正しく考え、判断し、行動する」ことが求められます。例えば、新社会人であっても、顧客対応やコンプライアンス、社内外のマナーやルールに常に最新の理解を持ち合わせていることが期待されます。

しかし、社会のルールは年々細分化・頻繁化し、情報のアップデートを怠れば、知らず知らずのうちに「違反者」になるリスクがあります。これはもはや努力や善意の問題ではなく、「個人では到底キャッチアップできない」領域に入りつつある証拠です。

たとえば個人情報保護法の改正や、金融・医療・建設などの専門業界での規制強化、SNS上の発言に対する炎上リスクなど、社会人が守るべき“常識”は、従来よりも遥かに動的で複雑です。にもかかわらず、それに対応する体制や教育制度は十分に整備されていないまま、「自己責任」が突きつけられているのが現実です。

3. 「現場への丸投げ」が生む制度疲弊

行政や大企業においても、効率化という名の下で本来の業務設計が不十分なまま、現場へ丸投げされるケースが増えています。これが意味するのは、「制度が不完全である分、現場の人間がその隙間を埋めろ」という無言の圧力です。

行政手続きの遅れや、制度改正の曖昧さが、最終的に窓口職員や企業の最前線にいる社員に“判断”を求める事態を生みます。結果として、現場の個人が本来の職務以上の対応を求められ、責任だけが膨らんでいくのです。

これが重なると、現代人の心理的負荷は幾何級数的に増し、うつや不安障害、ひいては無気力・無軌道な行動に繋がっていくのは想像に難くありません。

4. 教育・努力だけでは解決できない限界

このような状況でもなお、「もっと勉強すればいい」「もっと努力しろ」という声は後を絶ちません。しかし、これらは“昭和型の成功モデル”を前提にした発想です。

かつては、社会構造が安定し、ルールも明快だったからこそ、努力が報われる余地がありました。しかし、複雑化した現代では、個人の努力や道徳心だけに社会の秩序維持を期待すること自体が、現実離れした幻想になりつつあります。

「性弱説」とは、人はミスをするし、理解の限界もあるという前提に立ち、個人に過剰な負担を強いるのではなく、「仕組みと支え」でカバーすることを求める考え方です。

5. 安心・安全を仕組みで支える新しい社会モデル

すでに社会は、この「性弱説的な社会設計」へと静かにシフトし始めています。たとえば以下のような実例がその一端です。

  • 電車のプラットフォームに設置されたホームドア → 一人ひとりが線の内側に立つよう努力を求めるのではなく、落下という「結果」を物理的に防ぐ仕組み。
  • AIによるカスタマーサポート → すべてのオペレーターに完璧な知識を要求せず、AIがよくある質問やルール変更への迅速対応をサポート。
  • 自動運転やADAS(先進運転支援システム) → 運転者のミスを前提に、ブレーキやハンドルをアシストして事故を未然に防ぐ設計。

これらはすべて、人間が「弱い」存在であることを前提に、仕組みとして安全性・安心感を提供する例です。つまり「人の善悪」ではなく、「人の限界」を前提とする、まさに性弱説に基づいた社会設計です。

6. 性弱説が目指す社会──支え合うという前提

性弱説の本質は、「人は完璧ではないのだから、社会が補完する仕組みをつくるべきだ」という、人間観に根ざした優しさです。

新社会人にとって、「自分の努力でなんとかする」という姿勢は確かに大切です。しかし、すべてを一人で背負おうとすると、いずれ限界がきます。だからこそ、次のような姿勢が重要になります。

  • できないことを「できない」と言う勇気
  • 周囲に助けを求める習慣
  • ミスを責め合うのではなく、仕組みで改善する姿勢
  • 自分の負荷が過剰なとき、声をあげられる環境を大切にする視点

これらは、性善説や性悪説のように「個人の内面」を重視するのではなく、「社会のあり方」を問い直す立場です。これからの社会では、個人のがんばりと同時に、仕組みと支えのバランスを取る「共助」の視点がますます重要になるでしょう。


7. おわりに──やさしさの社会を築くために

「性弱説」は、人間の限界を認めることで、新しい支え合いの社会を設計していこうという提案です。新社会人の皆さんにとって、これからの時代は「がんばれば報われる」だけでは乗り越えられない場面も増えてくるでしょう。

だからこそ、がんばる自分を大切にしつつも、「仕組みで支えあう社会」を目指すことが、これからの生き方や働き方のヒントになるのではないでしょうか。

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